或るアプリ開発者の手記

誰のためにもならないことをつらつらとただ書く

プログラミングに関して思うこと

プログラマが満たすべき最低基準って? - (define -ayalog ’())

 

前提として、私はプログラムとは機械との対話のための手段であり、

プログラミングとは、人間の考えを機械へ理解させるための翻訳作業だと考えている。

これには、賛否両論があり、それはプログラマではなく、コーダではないのかといった意見などがあるが、そうは思わない。

旅の指差し帳を見ながら外国人と拙い会話をするレベルが果たして翻訳と言えるのかという話だ。

 

なので、アーキテクチャ設計を行ったり、アルゴリズムを考えだしたり、

データフローを考えたり、としている時間はプログラミング業務の範疇ではないと思っている。

唯一、コードに向き合い、人間の思考を機械のわかる言葉へ変換する、それが

プログラミングだと思う。

 

さて、件の話とは関係のない語りにようにも思えるが、なにが言いたいのか。

翻訳家が基本の基本である文法や英単語を間違えて理解していて、果たしてそれで

翻訳が務まるのか、ということなのである。

 

といっても、人間間違いはあるし、覚え違いもあるし、完璧ではない。

だから何も罵倒しなくても優しくみんなで励ましあってやっていけばよいではないのか、

という論法なのだが、本当にそれで良いのだろうか。

プロとして、甘い考えなのではないかと思えないだろうか。

罵倒された所で、なにくそという気持ちでより上を目指すのがプロのあるべき姿なのではないのだろうか。

努力は当然しているのでしょう。それは皆認めていると思う。

だが、罵倒をしている人は、(知らないけど)もっと多くの努力をして、今それを言える立場にいると思う。

自分が這いつくばり、辛酸を嘗めてきた過去を思えば、それがあって今の自分があると思えば、相手のことを考えればダメなことはダメだと言ってあげる、それが優しさなのではないだろうか。

甘やかされて育っても、周りの人より上に行くことはできないと思う。

 

よしんば、それでも辛い、しんどいと思うなら。

ブログなど書かなければ良いだけだ。

知り合いにだけ公開して、一般には公開しなければ良い。