或るアプリ開発者の手記

誰のためにもならないことをつらつらとただ書く

巷で話題?にもなってないと思われるenchantMOONの謎

先日UEIより発売された、タブレットデバイス enchantMOON

連日はてブや、その他Webサイト、SNSなどを賑わせている、ように見えるが、

本当に話題なのだろうか。

 

どうにもその動きを見ていて、話題には見えない。

何か組織的な動きも感じられる。まあそれは考えすぎなのかもしれない。

 

ただ、どう考えてもまず一般人は存在すら知らない。

一部の業界人、どこの業界なのかわからないが、その周辺のみが声を大きく

騒いでいるだけにみえる。

 

なにより事前情報の少なさ。

発売後いきなり、話題沸騰のような感じになったが、事前情報はひとつも

話題になっていなかったではないか。

メディアも一部のメディアが取り上げているのみのような感じだ。

本当に多くの人が期待をしていたのだろうか。

発売されて、酷評などがアップされるようになってから存在を知った人も

少なくないのではないか。話題に取り残されないために

前からしっていたけどね風を装っているのではないか。

 

テレビでも、確認したわけではないが、WBSのような日経系のメディアが

番組の合間にちらと紹介する程度のもので、そんなことで一般の人に

伝わるのだろうか。記憶にすら残らないだろう。

 

発売後の騒ぎも不自然といったらない。

字面通り受け取れば、期待をしていたのにもかかわらずこのような出来なのか

非常に残念だ、でもこれから頑張って欲しいというような内容が大半を占めるのでは

ないかと思うが、この時点でもうおかしい。

いやいや、誰も知りもすらしないデバイスを、さもみなさん知っているあの端末

なんですけどね、触ってみたらこうだったんですよ、っていうのはおかしいのではないのか。

まずは、誰も知らない端末だと思いますけど、これは、これこれこういうコンセプトの

端末なのですよ、ほら写真をパチリパチリと、こんな見た目でこうやって動いて

とか、そういうレビューがあってもいいはずだ。

それなのに、どのレビューも、皆さんもう使い倒しているでしょうが、私は

ここがよくないと感じましたよ、みたいな内容ばかりなのだ。

そんなことになるだろうか。

レビューでは写真が少なく、箇条書きでつらつらと色々書いてあるのが多いので

なおさらそう感じる。

まずは、写真を撮って、こんな端末なんだよ、とお披露目するのが先なのではないのか。

そう思うのは私が古い人間だからなのか。

みんなニュータイプとかそういうあれなのか。

不思議でしょうがない。

 

UEIの狙いも不明瞭だし、そもそもUEIってなにやってる会社なのかも

一般の人は知っているのかわからない。

業界の人でもなんかゲーム作ってるんだよね、とか、JavaScript好きそうな会社だよね、とか

そういう認識ではないのか。

 

わからないことで一杯のenchantMOONだが、今後の成り行きやいかに。

プログラミングに関して思うこと

プログラマが満たすべき最低基準って? - (define -ayalog ’())

 

前提として、私はプログラムとは機械との対話のための手段であり、

プログラミングとは、人間の考えを機械へ理解させるための翻訳作業だと考えている。

これには、賛否両論があり、それはプログラマではなく、コーダではないのかといった意見などがあるが、そうは思わない。

旅の指差し帳を見ながら外国人と拙い会話をするレベルが果たして翻訳と言えるのかという話だ。

 

なので、アーキテクチャ設計を行ったり、アルゴリズムを考えだしたり、

データフローを考えたり、としている時間はプログラミング業務の範疇ではないと思っている。

唯一、コードに向き合い、人間の思考を機械のわかる言葉へ変換する、それが

プログラミングだと思う。

 

さて、件の話とは関係のない語りにようにも思えるが、なにが言いたいのか。

翻訳家が基本の基本である文法や英単語を間違えて理解していて、果たしてそれで

翻訳が務まるのか、ということなのである。

 

といっても、人間間違いはあるし、覚え違いもあるし、完璧ではない。

だから何も罵倒しなくても優しくみんなで励ましあってやっていけばよいではないのか、

という論法なのだが、本当にそれで良いのだろうか。

プロとして、甘い考えなのではないかと思えないだろうか。

罵倒された所で、なにくそという気持ちでより上を目指すのがプロのあるべき姿なのではないのだろうか。

努力は当然しているのでしょう。それは皆認めていると思う。

だが、罵倒をしている人は、(知らないけど)もっと多くの努力をして、今それを言える立場にいると思う。

自分が這いつくばり、辛酸を嘗めてきた過去を思えば、それがあって今の自分があると思えば、相手のことを考えればダメなことはダメだと言ってあげる、それが優しさなのではないだろうか。

甘やかされて育っても、周りの人より上に行くことはできないと思う。

 

よしんば、それでも辛い、しんどいと思うなら。

ブログなど書かなければ良いだけだ。

知り合いにだけ公開して、一般には公開しなければ良い。

家族を作らない選択肢はいくらでもある。

家族を作るのが怖い。 - 拝徳

こちらのブログを読んで。

 

内容は最近よくある、僕の考えはこう、狂ってるでしょ?もっと罵倒して!系の内容。

なにより、結婚や子供に興味がないといいながら、出会いが無いことを言及している

矛盾っぷりに辟易する。

 

出会いがないと声を大きくしていう人はだいたいこのようなネジ曲がった根性に

なってしまうのではないかと私は考えている。

僕はこれだけ頑張っていて、いろんな事を考えていて、チャラチャラもしていないし、

仕事だって一生懸命やっているし、それなのに僕を見向きもしない女どもめ!

チャラチャラした男にばかり群がりやがって、このばかちんが。

というような思考に陥りやすい。

 

そうなってくるともう末期で、僕には愛情を注いでくれる人が居ない、だから

僕も愛情を振りまくことができない。だから結婚できない。家族がつくれない。

なにより出会いがない、とまあこうなるわけだ。

 

私はでも、別にいいんじゃないかなぁと思う。

当然ながら生物が生きる理由は、子を作り、DNAを存続させ、種族を生きながらえさせるという明確な主題があるのだが、

今の時代、別に全員がそれをする必要はないと思うので、まあ好きな様にすれば

いいと思う。

これだけできる僕が蔑む親に、自分はなりたくないと思うならばそれも選択肢なのだから。

 

 

ただ、いわせてほしい。

「人々の人生や生活に一筋の光明を投げかけるような会社を目指している」

ベンチャー企業の社長がこのようなブログを書いていて良い物だろうか。

社長になれて良い物だろうか。

はなはだ疑問で不安で一杯である。